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2014.08.12 Tuesday
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2014.08.12 Tuesday
神山レポート2
神山レポート1(http://go-girl30.jugem.jp/?eid=6)では神山で見聞きしたことを報告しましたが、
この記事ではわたしが感じたことを書いてみます

●何のためのまちを作るか
地域が外部からのマネーフローを得るため、義務感に駆られて地域の遺産を保存するためではなく、自分たちが楽しむための環境を作っていった結果、コミュニティが活性化したというのが示唆的な事実だった
先学期社会学の授業で読んだ論文、
足立重和(2004)「ノスタルジーを通じた伝統文化の継承 ――岐阜県郡上市八幡町の郡上おどりの事例から――」(以下のURLで無料アクセス可)
http://ci.nii.ac.jp/els/110008726904.pdf?id=ART0009803123&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1407564027&cp=
では、伝統文化である郡上おどりを観光資源として改変するのでもなく、盲従的に先代の通りのことを厳格に守るのでもなく、現代の地元の人たちが楽しみを追求して工夫していくことで、文化が「生きたもの」として残っていくと述べられていたが、やはり同じなのだと感じた
 
●学級会かサークルか
神山のプロジェクトは町全体を巻き込んで進められたものではなく、有志が集まってやってきたことだった
必ずしも「みんなが集まって時間をかけて話し合う」ということが、より根本的な解決なので望ましいとは言えない
有志でささっと形にしてしまって、周りに徐々に浸透していくという形の変化の仕方は、スピードが早く無駄な対立を起こさず効率的だろう、できるものも最大公約数的なものに留まらない
何かイベントをやろうするに当たって、学級会で話し合って決めていた小学生と、サークルや学生団体でやっている大学生との違いと考えればイメージしやすい
ただし、確かにサークル・学生団体の方が効率はよいかもしれないが、学級会で決まったクラスのイベントにはみんなが参加するが、サークル・学生団体のイベントにはみんなが参加するわけではないということには留意する必要がある
みんなが参加することが望まれる場合もあるし、全くその必要はない場合もある
しかし、学生団体でやるイベントというのは好きな人たちで集まってやっている以上、「君もそろそろ将来のことを考えなきゃだめだ!」というように無理に勧誘したら疎まれるというのは、まちづくりでも全く同じことが言えるだろう
 
●ミクロレベルの視点でまちづくりを考える
グリーンバレーの理事長大南氏の提示するビジョンは「2035年、小学校の全ての学年に20人学級が作れる」ような、緩やかにバランスの取れた過疎化
そのために「毎年子ども連れ4人家族が5世帯移住する」ことが必要と説く
数字でビジョンを示すことの重要性は強調されることが多いが、往々にしてトップダウン的な数字のことが多い
例えば、チームスポーツで「5-2で勝つ」という目標を掲げたとする
それが得失点差を考えると3点差以上は付けたいが、2点ぐらいの失点は防げなさそうだという計算に基づいたものだとする
もちろんこの数字は正しいが、「5-2で勝とう」というのを意識して勝てるだろうか?
””自分ごと””になったときに人は動く
5人のプレーヤーが「自分が1点決めたい」と思っていることの方が、目標にとってより強い誘引力となる気がする
話を戻すと、大南氏の打ち出す数字は住民にとって””自分ごと””の数字である
「一年生は一年生だけのクラスがいいよね?」「クラスメイトが20人ぐらいいなかったら寂しいよね?」「自分が子どもの頃のような小学校生活を子どもにも送ってほしいよね?」
そうやって出てきた数字だ
だからイメージができ、共感でき、強いインセンティブとなりうるのだろう
 
●誰が動くのか
まちづくりにおいて、外部者として地域に入っていって変化を助ける”コミュニティデザイナー”という概念が注目を集めるようになってきている
もちろんコミュニティデザイナーを名乗る彼ら自身も分かっていることだろうが、誰かを呼んできて任せて自分たちは意見を言っておけばいいという考えは甘い
そして、地域の人たちを集めてワークショップを開いて議論をファシリテートして何かアドバイスしたら外部者として地域を変えられるという考えも何かを勘違いしている
結局内部の人が責任を背負う覚悟を持って、自分の意志で動かないと、コミュニティは変わらない
 
●””よそもの””にできること
外部から来た人の一番大事な仕事は、内部に来た人をその気にさせること
「魚を与えるよりも、魚の取り方を教えよ」っていうけど、それよりも「魚を取る気にさせる」ことの方が大事だと思う
本当に魚を取る気があれば、自分であれこれ試してみれば魚の一匹や二匹捕まえられるはず、最初に魚を食べた人間は誰から教わったわけでもないんだから
それでも分からなかったら、自分から聞きにくるわけだし
ただ、外部から来た人にできることが限られているからといって決して簡単なわけではない
信頼を勝ち取るために、出してもらったものを食べ、困っているものがないか尋ね…そうやって長い時間をかけて、相手が求めているものは何かを考えつつ、コミュニケーションを取る
コミュニティの人間関係の力学を把握し、誰を動かしたら誰が動く…なんてことを考えながら少しずつコミュニティ全体を動かしていく
限界を自覚する必要はあるけれど奥が深い仕事だと思う
 
●番外編:田舎に住むということ
神山町には多くの若い人が移住してきている
サテライトオフィスに来る人たちは30〜40代夫婦に10歳前後の子どもを連れた4人家族、神山塾*の研修後に神山に移住する人たちは20〜30代の独身男女が多いとのこと
サテライトオフィスで働くソフトウェア開発のエンジニアの方は、「クリエイティブ系の仕事は田舎の環境の方が逆にはかどる」と話す
神山塾を経て神山に移住したという、町内のカフェで働く若い女性は「田舎でも遊び方はたくさんある。毎晩のように色々な人と集まって飲んだり、川で遊んだり…」と、話す
田舎には無限に自然のリソースがある
人だって少ないとはいえいないわけではない
生、すなわち加工されていない状態のリソースを切り取って、くっつけて、楽しむことができる限り、決して退屈な場所ではないんだと思う
しかし、誰でもそのスタイルが合っているわけではない
都会に行けば、お金さえ払えばすぐに楽しむことのできる場所がたくさんある
他の人が用意してくれた選択肢を使って楽しむ方がいいという人には都会の方がいい
こんなことを考えていて、わたしが思い出したのは幼稚園を選んだ時の話だった
幼稚園の途中に引っ越しをしたので、空いている近所の幼稚園は2択
一つは普通のブランコ・シーソー・鉄棒・ジャングルジムのみならず、アスレチックや室内プール、屋内の巨大迷路や長いローラー滑り台があって、行事も充実、日本一の規模を誇る幼稚園
もう一つは、今まさにオープンするというところで園児もほとんどおらず、遊具も一切なく、子どもたちが自分たちの手でものを作り、ルールを作って遊ばせるという教育方針の幼稚園
4歳のわたしが選んだのは前者の幼稚園だった
(当時その幼稚園は「マンモス幼稚園」とテレビにも放送されていたが、今では後者の幼稚園も新聞・雑誌で引っ張りだこのよう)
田舎の私生活と都会の私生活の違いというのは、まさにどちらの幼稚園を選ぶかと同じ違いなんだろう
でも、当時のわたしの前に「遊具のない幼稚園で楽しく遊んでいる」というモデルがなく、その楽しさ想像できなかったことがその選択をした大きな要因だったと思う
こうした意味で、今田舎暮らしを始めた若者たちがその楽しみ方を発信していくことは意義のある活動だと思う
 
*厚生労働省の認定のもと神山で行われる求職者支援訓練で、講義やイベントコーディネートなどの実践訓練を行う
| yuka0330 | - | 21:27 | comments(0) | - | pookmark |
2014.08.12 Tuesday
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